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舊城寺の由来

 

現在寺院のある土地について最も古く記録が残っているのは室町の頃、関東上杉氏の一人がこの地にある「榎下城」という小さな山城の主であったという記録です。その後関東上杉氏が消滅したのちも「久保城」などと名前を変えながら、豊臣秀吉の小田原攻めの時までは、廃城を何度か繰り返しながら使用されていたようです。


 その後、江戸時代になると久保村の長、佐藤家の住居となります。しかし佐藤小左衛門氏の代に男子に恵まれず、財産等はすべて二人の娘に譲り、久保城跡地の屋敷に隠居します。佐藤氏は、娘に自分の死後住居に寺を建てることを遺言としました。こうしてこの榎下城跡に寺院が建ち、この土地の歴史から「舊(旧)城寺」と名づけられました。


 ちなみに、この榎下城にはかつての城主の一人が敗れ去る際井戸に、金の茶釜を投げ捨てたという伝説があります。いずれ発見され大ニュースになるかもしれません...

舊城寺だより第1号より抜粋

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