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目のお薬師様
無眼薬師(むげんやくし)
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 舊城寺には本堂の他にも薬師堂が境内にございます。その薬師堂に奉られているのが、目のお薬師様として長く信仰を集めている「無眼薬師」になります。

佐藤氏による薬師如来剛像及び薬師堂建立

両眼を村民に与え『無眼薬師』となる

・武相寅歳薬師如来霊場の開創

・『無眼薬師』舊城寺へ

佐藤氏による薬師堂の建立

 無眼薬師さまの由来は、舊城寺の開創よりも古く、さかのぼれば室町時代のことになります。当時、久保村(現在の三保町)周辺では悪性の眼病が大変流行していました。多くの村民がこの流行り病で視力を失ったそうです。病に苦しむ村民たちを嘆いた村の長であった佐藤小左衛門氏が、現在も薬師谷戸と名の残る土地に堂を建立し、そこに薬師如来像を安置して奉ったのが無眼薬師さまの由来になります。

両眼を村民に与え『無眼薬師』となる

 無眼薬師様はその名の通りお顔に両眼のない無眼のお姿です。

日本に唯一といわれる無眼のお薬師様。なぜそのようなお姿なのでしょうか。

 村長の佐藤氏によって奉られた薬師如来さまは三保町(久保村)の人々に篤く信仰されました。当時は舊城寺のようなお寺の管轄ではなく、真村持ちのお堂として、三保町(久保村)の村民で協力してお堂を管理し奉っていたそうです。

 当時は医療も発達しておらず、医者も薬も少なく病気になれば薬師如来様にすがるしかない状況でした。人々はいつも村を見守って下さっている薬師如来さまを深く感謝し奉っていたのです。

 

 そんな熱心な村民たちの信仰を仰いでいた薬師如来様ですが、お堂をの手入れをしまたお参りに来る三保町(久保村)の村民たちが流行り病で眼を悪くしていることを哀れに思っていました。

 そこで薬師如来様は、目の悪い村民たちのに自身の両眼を与えることで、目を治したのです。

 自身の両眼を失っても村民の苦しみを除いて下さった薬師如来様の慈悲に、村民たちは感謝の気持ちを抱き、より一層信仰を深めたそうです。

無眼のお姿になった薬師如来様は「無眼薬師」と呼ばれるようになり、現在に至るまで深く崇められています。

武相寅歳薬師如来霊場の開創

 現在「無眼薬師」は秘仏とされ、厨子に戸を閉めた状態で奉られています。十二年に一度、寅年に周辺寺院と共に武相寅歳薬師如来霊場が催され、その際には開帳され直接参拝できます。言い伝えでは、この開帳の時以外に厨子を開き眼の無い薬師如来の姿を見ると逆に目が悪くなってしまうそうです。武相寅歳薬師如来霊場は舊城寺の住職が中心となり江戸時代初期に開創されたようです。霊場も広く信仰を集め地元の皆様ももちろん遠方からも毎回多くの方が巡礼頂いています。

 寅年の御開帳はもちろんの事、普段から目の病、体の病、更にはペットの病と多くの方がお薬師さまにお参りし、ご利益があったそうです。

『無眼薬師』が舊城寺へ移転

 薬師堂はその後舊城寺の管理下になり、享保年間(十八世紀)に境内に移築されました。現在の堂は昭和六十年に檀信徒の皆様のご援助ご協力により建てられました。毎年一月八日の薬師の初縁日には、薬師堂において薬師護摩を修しご参拝いただいています。お時間有ればぜひご参拝ください。

​舊城寺たより 第2号より抜粋・一部修正

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無眼薬師さまを奉る薬師堂

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