お大師さまのご両親・そして出家
2023年は、高野山真言宗の宗祖・弘法大師空海上人の御誕生一二五〇年です。お大師さまは、宝亀五年(七七四年)六月一五日の生まれで、高野山では毎年青葉祭りとしてお祝いしています。今回は、お大師さまのお生まれについて書かせて頂きます。
お大師さまは、御父・佐伯善通(さえきよしみち)と御母・玉寄御前(たまよりごぜん)の子として、現在の香川県善通寺市でお生まれになり、幼名を真魚(まお)と名付けられました。善通寺は、お父様のお名前から取られたとされています。
父方の佐伯家は地方の豪族でした。また母方は学者の家系です。幼いころから優秀なお大師さまに、佐伯家は中央で官僚として出世し、一族の発展に資することを願っていたようです。
そして十四歳になると佐伯家の期待を背負い、母方の叔父の阿刀大足(あとのおおたり)に預けられ平城京に入られます。大足は学者で、第三皇子であった伊予親王の教育係でした。大足から論語・孝経・史伝・文章等の指導をうけ、一八歳で官僚になる為の大学に入学されます。お大師さまが、仏教以外にも造詣が深いのは、この頃に学ばれことも大きいのでしょう。
しかし後に退学されて仏教へと専念されます。出家の理由を二十四歳の時に『聾瞽指帰(ろうこしいき)』という小説にしています。ただの出家宣言書にしないで、小説として出すのが、お大師さまのしゃれた性格が表れているようです。その中には、次のようにお大師さまの思いが書かれています。
「儒教と道教を学んだが自分の現世利益のことばかりだ、仏教にはお釈迦様の全ての人々を救うという慈悲の心が教えに現れている。」
また後に改訂版として出された『三教指帰(さんごうしいき)』には
「儒教と道教を学べば出世も仙人の道を歩むこともできる。だが仏教は自分だけでなく他者も救えるし、その慈悲の心は人間以外の生きとし生けるものにも及ぶのだ。」
とも言われており、お大師さまが人々への救いを求めて仏の道に入られたことが伺えます。
舊城寺だより第九号より抜粋